|
日本的种苗公司已经培育出蓝色的玫瑰了
名位蓝色天国
这是我看一个台湾的花友jarry帖出来的,图片也是他拍的
昭和37年、23歳のときに果樹苗農家に嫁いで以来、夫との二人三脚でバラ苗の生産を行う。昭和59年からバラの育種を開始し、現在までに12品種のバラを登録。世界的な品評会で賞をとるなど、育種家としての評価は高い。大野町のバラ苗出荷量日本一を支える。
昭和37年,是23歲的時候出嫁果樹苗農家以來,以跟丈夫的二人三腳地進行玫瑰苗的生產。從昭和59年開始玫瑰的育種,到現在登記有12個品種的玫瑰。全世界的品評會有得到獎等,形成為高評價的育種家。大野町的玫瑰苗出貨量在日本是第一。
いよいよこの3月、幻の青いバラが「花フェスタ2005ぎふ」に出品されますね。
終於在這3月,虛幻藍的玫瑰被「花フェスタ2005ぎふ」展出作品。
はい。「ブルーヘブン」を一度にこれだけ多くの方に見ていただける機会は県内では初めてなので、今からとても楽しみにしています。このバラの神秘的なシルバーブルーを一人でも多くの方々に見ていただければと思っています。
是的。同時在這麼多可以看「藍色天國」的機會中,因為在在縣內是第一次,從現在開始非常期待著。我想如果光一人或多數的各位也都可以看這個玫瑰神秘的銀青色彩.
そもそも青いバラ”ブルーローズ“というのは「不可能」という意味だとうかがいました。
聽說藍色的玫瑰"青薔薇",是「不可能」的意義.
バラは、遺伝的に青い色素をつくることができないとされています。25年ほど前に、ある育種家の方から「青いバラは絶対にできない。ノーベル賞がもらえるような話だ」とも言われました。幼いころから花が大好きで、ずっと花々に囲まれて生活してきた私の心に、そのとき、青いバラに対する特別な感情が芽生えたのです。これが、20年以上にわたる青いバラへの挑戦の始まりです。青いバラをつくるなんて、家族にも言えませんから、最初は温室の隅で、ひっそりとやっていました。やっぱり無理かもと、あきらめそうになったこともありました。新品種をつくるためには、母親となる花がまだつぼみのときにおしべを取り除き、父親となる花と交配させる。その作業を何世代にもわたって繰り返して、理想の色や形に近づけていくわけです。作業自体はそれほど難しくはないのですが、つぼみのうちに作業をしなければならないので、常時管理が必要ですし、作業が5月に集中するため、その時期は本当に忙しい。また何よりも、親選びが難しくて、色や形、香りからイメージを膨らませて慎重に親を見極めるわけですが、それにはバラの系統についても知っておく必要があります。紫色のバラから赤みを少しずつ抜いていくという、非常に根気の要る地道な作業でした。3年ほど前に、それ以前よりも青みの強い花が出たときは、嬉しいというよりも、自分の目がおかしいのではないかと半信半疑でしたね。
玫瑰,藍色一直被認為不能做遺傳性。在25年前是沒有那樣地,從某位育種家曾說:「藍的玫瑰是絕對能的。若能像得到諾貝爾獎一樣的話」。我從年幼的時候開始就非常喜歡花,一直被花包圍生活了的我與我的心,那個時候對藍玫瑰的特別感情培芽了。針對如此,20年前是藍玫瑰挑戰的開端。種此類形藍色的玫瑰家族們也沒說過甚麼,最初在溫室角落。不知為何理由地且快要死心了卻悄悄地做著。為了把這新品種做成,作為母本的花還是花蕾的時候除去蒂與作為父本的花使之染交。應該也持續幾代反復那個工作,接近理想的顏色和形式漸地接形成。自己認為工作並不是那麼難,不過必須將花蕾內做染交工作平時就需要管理,工作集中在5月,那個時期真的很忙。但沒有什麼再比此事都好了,應該父母(本)挑選很難,從顏色和形式,香味也使之引起,印象中有慎重地看清父母(本),不過在那個需要關於玫瑰的系統也須預先知道。據說是由紫色的玫瑰一點點抽出紅色,非常需要耐性地踏實工作。要比3年前那個青色還要強的花現已出來了,那時候與其說高興不如說是自己的眼淚!不是可笑的嗎?真是自已感覺得到還半信半疑ㄋ。
今後も「青」を追求されていかれるのですか。
從今以後還會追求「藍色」嗎?
もちろん続けていくつもりです。でも、20年以上育種してきた経験からすると、これ以上濃い青色を出すことは自然の交配だけでは限界ではないかとも思います。ほかにない美しさや香りのあるバラ、特にバラが一番美しく栄える赤に挑戦したいと思っています。赤はバラ育種家にとっての永遠のテーマでもありますから。
當然打算繼續。但是也想(參考)從20年前已育種的經驗來做的話,希望作出比這個更深的淺藍色,僅僅自然的交配是沒有界限嗎?另外若沒有美麗與有香味的玫瑰,也想要對特別的玫瑰:要向最美麗地昌盛的紅色挑戰。紅色是永恆的題目也針對玫瑰育種家來說.
[ 本帖最后由 蝴蝶飞了 于 2008-3-11 16:50 编辑 ] |
|